言いたいことを言いたいだけ

アニメ、漫画、ラノベなどの感想をつらつらと語っていきます。昔の作品も取り上げます。

28回目『リコリス・リコイル(第3話振り返り)』

どうも、シオンです。

 現在第9話まで見終わっていて、千束の衝撃的な事実に泣きそうになっている僕ですが、あらためて第1話から見直してみると、これまでと見方がかなり変わりますよね。個人的に第3話は、リコリス・リコイルの中でも屈指の神回だったと思っており、ふとそのあたりも語りたいなと思ったので書いている次第です。普通こういうのは全部終わってから書くものだと思うんですけどね。第9話を見た今だから語りたいこともあるってことです。では、語ります。(ネタバレあり)

 

 

第3話の魅力

①二つの神シーン

 まず第3話の何が良かったか、それはやはり、たきなの心情の変化に尽きるでしょう。第3話の冒頭から中盤まで、たきなはDAに戻りたくて仕方がありませんでした。それこそ楠木司令に直談判しに行くくらいには。そしてそのせいで、リコリコでの生活や千束とのやり取りを楽しめていない感じだったんですね。自分はDAに戻りたいのに戻れない、なのにDAに必要とされているはずの千束がDAに戻らないことに苛立ちすら感じているようでしたね。

 しかし、千束の温かい言葉が、態度が、たきなの心を溶かしていきましたね。その象徴ともいえるシーンが、噴水広場のちさたきクルクル回転シーンですね。たきなを担ぎ上げながら「わたしは君と会えて嬉しい!嬉しい嬉しい!!」と満面の笑みを浮かべる千束の笑顔は、まさに神回と呼ぶにふさわしいシーンだったのではないでしょうか。このシーンは当時見ていた時に悶絶するほどよかったですね。

 そしてこの第3話が神回と呼ぶにふさわしいのは、ラストシーンにもあります。DAからリコリコに帰る電車のシーンですね。ここで、たきなは初めて千束のことを呼び捨てにします。そして頑なに座らなかった隣の席に座り、受け取らなかった飴を受け取るなど、明確な変化が目に見えましたね。こういうところで表現をし、しっかりと伝わるのがこの作品の良いところですね。そして千束の「すっきりしたなあ!」からの、たきなの「ええ(ニヤっ)」からのエンディングという神コンボをかましてきました。ここは本当にやばかったですね。もうニヤニヤが止まりませんでした。アニメを見てここまで興奮したのはいつ以来だったか……。この二つのシーンこそが、第3話の魅力のひとつと言えるでしょう。

 

②第3話でこの話をやった意味

 第3話で、たきなの心情や行動に明確な変化が生じました。これまでDAに戻ることだけを考えていたたきなは、考え方も一般的なリコリスと同じで、殺人が許可されているなど、過激な発言をとることもありました。しかし第4話以降は、敵であっても殺さない千束の主義に同調しており、ある意味千束と同じ異端なリコリスとなりました。で、これを第3話でやったのが大正解だと思うんですよね。

 僕もそこまでアニメに詳しいわけではないですが、アニメの見方の一つとして「〇話切り」というものがあります。これは一定の話数まで見て、それ以降を見るか判断するというものですね。代表的なのは「0話切り」「1話切り」「3話切り」ですかね。「0話切り」は見る前の情報だけで、見るかどうかを決めることですね。ちなみに僕は9割近くをこれで決めています。「1話切り」「3話切り」はそれぞれ1話まで、3話までを見て判断するといった感じですね。そう、3話です。個人的にも、3話ってかなり重要だと思っていて、ここである程度面白さがわかるんですよね。作画の安定性とか、話の面白さとか。もちろん、1話も超大事ですけどね。ここでこけてたら3話までいかないわけですから。そこからの3話です。リコリス・リコイルは、この3話に神回をばっちり当ててきたわけですね。神と呼べるシーンを二つも入れてきたんですね。そして、第2話の戦闘シーンとラストでかなり印象付けた千束の才能も、ここでしっかりネタバレしましたね。

 要は何が言いたいかというと、二つの神シーンと千束の才能の正体から、今後の展開に対する期待度が限界突破したというわけです。少なくとも僕はそうでした。最後のラブラブツーショットを見てしまえば、どうしたって第4話に期待をしてしまいますよね。そして、いつのまにかリコリス・リコイルという沼にどっぷりはまってしまったわけです。

 

③デレてないたきなとデレたきな

 第3話は、デレていないツンツンたきなと、デレ始めたデレたきなが両方みられる唯一の回なんですね。中盤までのたきなのつらい心情は見ていてこちらもつらいものがありました。楠木司令やフキ、サクラたちの冷たい言動には腹が立ちました。そこからの千束の大逆転で、千束の言う通りスカッとしたわけですが、このデレ始めたたきなってのが、もう破壊力抜群でした。ラブラブツーショットの中で、ぎこちなく折り曲げ気味のピースをしているのとか、特によかったですね。これまでピースなんかしたことなかったんでしょうね。でもせずにはいられなかった。だって、一緒に撮っている人も、それを見てもらう人も、もう他人ではなくなったから。これから、この人たちとの時間を過ごしていくんだから。この辺り、噴水広場での千束の言葉がまさにそうですよね。「お店の人との時間を試してみない?」この言葉に、たきながどれだけ救われたんでしょうか。居場所があると、ここにいていいと言われたことが、どれだけ嬉しかったでしょうか。

 第2話まではデレていないたきなしか見られず、第4話以降は概ねデレたきなしか見られない(大いに結構な話ですが)ので、そういう意味でも、第3話は特別な回なんですよね。

 

千束の言葉の重み

 さて、ここまで第3話の魅力を語ってきたわけですが、第9話での千束の真実を知った今、これまでの千束の言葉の重みが一気に変わってきましたね。千束の言葉の一つ一つ、それこそ軽口とも思えた言葉が、実はめちゃくちゃ大きな意味を持っていたのかと思うと……、本当に胸が張り裂けそうです。

 例えば第3話からはちょっと外れますが、第4話でたきなとデートをした際に、たきなとパンケーキ?を食べるシーンで千束がこんなことを言っていました。

「人間、一生で食べられる回数は決まっているんだよ。すべての食事はおいしく楽しく幸せであれ」

 これまでこのシーンは、数ある良ちさたきシーンの一つで、ただ尊いだけのワンシーンだと思っていました。しかし、千束の真実を知った今、どうでしょうか。第9話で、千束はもともと成人するまでしか生きられないことが判明しましたね。僕は、「一生」と言われた時、深く考えることなく老後のことなんかをイメージしていました。それまでに何回食事をとるんだろうか、なんて漠然と考えていました。しかし、千束にとってはそうではなかった。あと約3年の命だった。それを考えると、千束が常に全力だったことも、やりたいこと最優先にしているのも理解できてしまします。後悔しないように、なんでしょうね。

 第3話では、やはり噴水広場でのシーンなんですが、千束はたきなにこう語ります。「遅くない、まだ途中だよ。チャンスは必ず来る。そのときしたいことを選べばいい。」

 これも、今となってはめちゃくちゃ重たい言葉ですよね。たきなには、まだ時間がある、って言っている感じがします。たきなには、後悔しないように、自分で選べるようになってほしいんでしょうね。自分と違って、これから先のあるたきなには。……なんか書いていて本当に悲しくなってきました。

 ほかにも見返してみると、このとき本当はどんな気持ちで言っていたんだろう、と思うシーンがたくさんありました。それを思うたび、胸が締め付けられるようです。

 

まとめ

 というわけで、第3話を振り返るような形で語ってみました。第3話を神回と表現しましたが、基本的に全部神回なんですよね。ただ、たきなの状態がほかの回にはない特殊な回であること、神と呼べるシーンが二つもあることを考えると、やはり神回の中の神回と呼べるのではないでしょうか。個人的には第3話は「たきなの神回」だと感じています。そして、第9話は「千束の神回」だと思っています。そして第4話は「ちさたきの神回」ですかね。まだ残り4話あるので、現時点ではですが。どちらにしてもリコリス・リコイルの重要なターニングポイントになった第3話、大好きです。これからも、こうして見返してみて、衝動的に語りたくなったら書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。では、この辺で。

 

書いていて残り4話ってところで一番泣きたくなったのは内緒

 

おしまい